東紀州長期インターンシップ経験者プレゼンテーション(一宮嘉仁)

尾鷲商工会議所 長期実践型インターンシップ・プログラム 第一期事業報告会
日時:2012年11月2日(金) 14:00〜17:00
会場:三重県立熊野古道センター 映像ホール

 

第3部:東紀州長期インターンシップ経験者(東紀州地域への、I/Uターン者)プレゼンテーション
一宮嘉仁さん(株式会社熊野古道おわせ/夢古道おわせにてインターン後、尾鷲市にIターン)

いちみや・よしひと/1989年愛媛県生まれ・23歳。(株)熊野古道おわせ職員。松山大学経営学部経営学科在学中(2年時)に、三重県尾鷲市の温浴・飲食・物販施設「夢古道おわせ」にてインターン(2009年8月3日〜10月)。2012年4月よりインターン先である(株)熊野古道おわせに就職。

 

愛媛出身の若者がインターンをきっかけにIターン

一宮嘉仁さん(株式会社熊野古道おわせ)

一宮嘉仁さん(株式会社熊野古道おわせ)

みなさん、こんにちは。

株式会社熊野古道おわせの一宮嘉仁と申します。どうぞ宜しくお願い致します。

 

僕は、この3月に愛媛県の松山大学を卒業して、4月から夢古道おわせで働いています。

僕は愛媛県の出身で、生まれてから大学卒業するまで、ずっと愛媛の地元・大洲市というところに居たんです。なぜそんな僕が、三重県の尾鷲市に来て、しかも夢古道に就職したのかと言いますと、きっかけは大学2年生の時に、夢古道でインターンシップをしたことでした。

 

インターンシップを知ったきっかけは、大学のゼミの先輩が、横浜で長期のインターンシップをされて、そのお話を聞く機会がありまして、インターンシップって何だ? という、そこからまず入ったんですけれども、その先輩がインターンシップを経験して帰って来て、「僕は将来、こういうことをするんだ」とか、「こんな経験をしてきたんだ」みたいなことを熱く語るわけですよ。それで、その姿ってすごくカッコいいなと思って、僕もインターンしたらこんな風になれるんじゃないか、って本当に単純な理由なんですけど、そこで、インターンシップというものがグッと身近に感じられました。

 

東紀州長期インターンシップ経験者プレゼンテーション(一宮嘉仁)夢古道を見つけたきっかけは、僕はずっと地元にいて、地元でやりたいこととかもない、でも僕にあるものっていうのは、自分の地元が好きで、地元にずっと居たいなっていう、それだけの思いしかなくって。

そういうやつでも受け入れてくれるインターンってどこかにあるかな、っていうことで、全国のインターンシップの情報を探して見つけたのが、この「夢古道おわせ」で、その当時店長だった伊東さんの言葉が載ってたんですけど、「地域を元気にしたいやつは、うちに来い」みたいな。

それで、ここに行こう、ってことで、そういう理由で夢古道でインターンシップしました。

 

夢古道でインターンした理由にはもうひとつあって、僕は経営学部なんで、将来、地元で起業して、それで町を元気にできたらいいな、というのがあって、夢古道でインターンしました。

 

実際、そのインターン中どうだったかっていうと、本当に何をやってもうまくいかず、毎日毎日、怒られてばかりの日々でした。朝遅刻したり、寝坊したり、期限が決まってるものをそれまでに出せなかったりとかで、毎日毎日怒られてたんですけど、その時、伊東さんに「お前、本当に起業したいのか」って聞かれて、「いや、別にあまり起業したくないかもしれないです」みたいな、そういうブレブレのインターン生活だったんですけど、その中で周りの一緒に働いているスタッフとか、地域の大人のみなさんに支えられて、無事インターンシップを終えることができて、結果としては何も出せなかったですけど、そういう人の暖かさを知れるようなインターンができました。

 

夢古道に就職したきっかけなんですけれども、僕は最初、横浜の塾に内定をいただいていました。それは、在学中に4年間塾でアルバイトをしていて、塾って面白いし、こども好きだし、それで将来帰って、塾で何か仕事あるかなと思って、そういう割と単純な理由で塾を選んだんですけれども、その時に伊東さんに相談したら、「お前、まちづくりがしたいんじゃないのか」ということを言われて、「あ、そうだった。俺、まちづくりをやりたかったんだ」と思って、それからいろいろあって夢古道に就職することになりました。

 

実際、いまどんな仕事をしているかっていうと、尾鷲の商品というか、尾鷲でしか売ってないような、尾鷲の地元で作られた商品を、県外の、例えば僕は、夢古道の湯で、お風呂屋さんで働いてるので、いままで培ってきた、お風呂屋さんのコネクションというか、を使って、県外のお風呂屋さんに、夢古道とうか尾鷲の売店を作っちゃえ、ということをやっています。僕は、これに関しては、尾鷲のいいものを、全国に展開していって売り上げをあげるっていう、それくらいの考えでしかなかったんですけども、昨日ですね、山本木工さんっていって、昭和15年から木に携わっていて、そういう仕事をしているおじさんのところに行ってお話を聞いてたんですけども、「いやぁ、俺も早く辞めたかったんだけどなぁ。でも、尾鷲ひのきって素敵だから、尾鷲のひのきをもっと全国の人に知って欲しいわぁ」みたいなことを言っていて、そういう思いを注入されてですね、僕らの仕事っていうのは、この尾鷲の思いとかも引き継いで、外に展開していく、PRしていく仕事なんだってすごく感じました。

 

僕はこの尾鷲で学んで、将来は地元に帰って、地元愛媛でまちづくりに関わりたいと思っております。

以上です。ありがとうございます。